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ささやかな絶望と決意の話

三ツ橋 猛(みつはし たける)は恵まれた人生を送ってきた。

*****

幼い頃から、他の子どもより頭ひとつ分は背が高かった。
運動が得意で、かけっこでもドッヂボールでも自分が一番だった。
勉強も、一番にはなれなかったけど、クラスの二番目か三番目かにはなっていた。

父親は建設会社の社長をしていて、何不自由なく暮らしていた。
母親は優しくて、料理が得意で、美人だと評判だった。
両親の顔の良い所を受け継いだのか、自分の顔もまあまあ整っているという自覚はある。

よく父の仕事場に遊びに行った。
社員たちは、三ツ橋を息子のように、孫のように、弟のように可愛がってくれた。

特に仲良くなったのは“りっくん”だ。
本名を理人りひとといい、三ツ橋が小学五年生の時に父の会社に入ってきた。
彼は中学卒業後すぐに就職したため三ツ橋と歳が近く、本当の兄弟のように一緒に遊んだ。
「猛をいじめる奴がいたら俺がぶっ飛ばしてやるからな」と言って明るく笑う、彼の表情が好きだった。
体格のいい自分をいじめる者なんていなかったけれど、何かあった時に助けてくれる存在は、勇気と安心と自信を与えてくれた。

恵まれた人生だ。
恵まれた人生だと、思っていた。

*****

忘れない、あれは小学六年生の時だった。
修学旅行の夜、誰ともなく“そういう”話になった。

「このクラスだとさ、誰がいい?」

「やっぱ桜井(さくらい)じゃね? かわいいし」
「えー、川崎(かわさき)の方がおっぱいでかいじゃん」
「うちのクラスだけ? オレ、四組の芳田(よしだ)がいいな」
「猛は?」
話を振られて、皆が一斉に三ツ橋を見た。
「えっ」
「猛は誰がいい? もうこのクラスじゃなくてもいいや」
友人の質問に、三ツ橋は頭に浮かんだ人物の名を正直に答えた。
「俺は、りっくんかな」
「りっくん?」
「りっくんて誰」
「理人(りひと)くん。父ちゃんの会社の人。
りっくんさ、でっかいバイク乗ってて超かっけーの! たまに後ろに乗せてくれてさ! あと……」
笑った顔がかわいくて。
そう口にする前に、皆が一斉に噴き出した。
「ぷ……っ、あはははは!」
「待った待った! そういうんじゃねーって!!」
「ウケるー。猛、たまに天然だよな!」
三ツ橋は、自分が笑われる理由が分からなかった。
だって、『誰がいい』の意味は理解している。
自分はちゃんと、『そういう』意味で答えたのに。
「そうじゃなくてさー、女子で好きな奴いないかってこと」
「好きっていうか、いいなーって奴とか。いない?」
「……あ、ああ、女子ね」

あの後、自分が誰の名を挙げたのかを三ツ橋は覚えていない。
頭の中はぐるぐるしていて、喉がきゅうっと締まって、足が少し震えていた。

『そういう』のは、女子じゃないと、駄目なのか。
りっくんが『そういう』のだと、笑われてしまうのか。
そうか。
そうなのか。
……そう、なんだ。


――りっくんは数年後、三ツ橋の知らない女の人と結婚した。

*****

三ツ橋は中学生になった。
入学してすぐ、様々な運動部から勧誘攻撃に遭った。
大抵のスポーツにおいて、背が高いというのはそれだけで有利になる。
特に悩むこともなくバスケ部を選んだ。入学前の休み期間に、バスケ漫画を読んだからである。

バスケ部はまあまあ楽しかった。
すぐにレギュラーになれたし、そんな三ツ橋をやっかむ輩も特にいなかった。いたかもしれないが、三ツ橋に面と向かって文句を言う度胸は無かっただろう。
中学入学時点で三ツ橋の身長は部内の誰よりも高く、荒っぽい大工たちに揉まれて育ったせいか筋肉も付いていた。

三ツ橋は女子に人気があった。
何度も告白された。
嬉しくなかった。全部断った。
『そういう』のは女子じゃないと駄目なのに、自分は女子だと駄目なのだ。
そのことを考えるたびに、喉がきゅうっと締まった。

誰にも言えなかった。
また笑われるかもしれない。
怖かった。
ただただ、怖かった。
大きくなった体を毛布の中で小さく丸めて、きゅうっと締まる喉を手で押さえた。
時々、泣いた。
きゅうっと締まった喉からは、泣き声は出なかった。
涙だけが枕に吸い込まれて、朝には何も無かったように乾いていた。

*****

高校生になった。
また運動部からの勧誘攻撃に遭い、鬱陶しいのでさっさとバスケ部に入った。
「でかっ! 何センチ?」
耳が腐るほど聞いた言葉を自己紹介より前に発した男。
名前を、仁科 亮司(にしな りょうじ)といった。
騒がしい奴だな、と思った。

「え、三ツ橋もアレ読んでんの? やっべー俺だけかと思ってた」
「親父の会社の人が貸してくれてさ」
「まあ親世代の漫画だよな。うちも親父が読んでたし」
仁科とはすぐに仲良くなった。
バスケ部を選んだ理由が同じだったことがきっかけで、あっという間に打ち解けた。
仁科は人懐っこく、よく気の回るやつだった。
明るくてお節介で、そのくせ自分のことは適当で。
放っておけずに世話を焼いているうちに、いつしか三ツ橋と仁科はニコイチで扱われるようになった。
クラスは違うけれど、昼休みと放課後は必ず一緒にいるし、休日も互いの家へ遊びに行った。

仁科と一緒にいると楽しかった。
仁科と笑いあう時間が大切だった。
仁科とセットで扱われるのが嬉しかった。

――仁科を見ると、喉がきゅうっと締まった。


「三ツ橋君、あのね……」
「は? 何? それ急ぎ?」
「あ、ううん……だいじょうぶ……」
そそくさと去っていく女生徒の背中を仁科が追いかける。
三ツ橋は気付かれないように小さく舌打ちをした。
追いついた仁科は女生徒と短く言葉を交わすと、三ツ橋の方へ戻ってきた。
「お前さ~、もうちょい何とかならん? 俺らとは普通に話せんじゃん」
「うるせえよ。つか何だって?」
「今度の調理実習、卵持ってきてほしいって」
「ああ、はいはい」
中学の半ばを過ぎた辺りから、三ツ橋は“女”という生き物がほとほと嫌になっていた。
告白するのに友人を引き連れてきたり、断るとその友人に責められたり。まったく面倒な生き物だ。
仁科は、三ツ橋が女と喋る時に緊張してあんな態度になってしまっているだけなのだと思っている。三ツ橋もそれを否定しない。
「てかさー、今の子かわいくね? 俺けっこう好きだわ」
喉がきゅうっと締まる。
『あの子がかわいい』『彼女が欲しい』。……仁科は、『そういう』話を頻繁に口にする。
“女”として生まれただけで、仁科に『そういう』風に見てもらえる。
三ツ橋は、“女”という生き物が、本当に本当に嫌いだった。

*****

「俺、彼女できた」

能天気なにやけ顔をひっ提さげて、おまけにピースまでして、仁科は三ツ橋の心臓を抉えぐった。
その場を逃げ出さなかったのは、足に力が入らなかったからだ。
叫びださなかったのは、喉が締まって、ぎゅうっと締まって、声が出なかったからだ。
三ツ橋の様子になど気付きもしない他の友人たちが、仁科をどっとはやし立てる。
「マジか! くそー、先越された!!」
「え、え、誰誰? 写真ある?」
「一組の桂木 唯菜(かつらぎ ゆいな)って子」
「あーあの子か! 何、告ったん?」
「いや、向こうから告られた。ごめんな、俺がイケメンなばっかりにお前らを置いて行って……」
「死ねよ」
「くたばれ」
「地獄に落ちろ」
「ふははは! 負け犬の遠吠えなど効かぬなあ!!」
はしゃぐ声が遠い。
仁科も、友人たちも、ここじゃないどこかに居るような気がする。
呼吸もできないほど締まった喉を、無理矢理こじ開けて声を出す。
「……そいつのこと……好きなのか」
「そういうんじゃねえけど。かわいかったし、いいかなって」

なんだそれ。

好きでもないのに付き合うのか。
『そういう』んじゃなくても付き合えるのか。
かわいかったから、それだけで。
それだけで、お前の恋人になる権利を貰えるのか。
たまたま“女”に生まれただけで。

*****

「亮司(りょうじ)ぃ、いる?」
教室の外から仁科を呼ぶ声がする。
一組の桂木かつらぎ――仁科のカノジョだ。
放課後の教室には三ツ橋しか残っていない。
テスト期間の今は部活が無い。他の皆は早々に帰っていた。
「あれ、三ツ橋くんだけぇ? 亮司は?」
「婆さんの具合が悪くなったって、HRホームルームの前に帰ったよ」
「えぇ、亮司っておばあちゃん子なんだ。ウケる」
仁科がいないのだからさっさと立ち去ればいいものを、桂木は教室へと入ってきた。
「てかさぁ、何気に三ツ橋くんと喋んの初めてじゃない?」
「……」
「背ぇめっちゃ高いよね。うちのガッコで一番っしょ」
桂木が、三ツ橋の顔を覗き込むように腰をかがめる。
その瞳に、見覚えのある色が混じっていることに三ツ橋は気が付いた。
中学時代から何度も見てきた色。――仁科を見る自分の瞳にも、混じっているであろう、色。

笑いたくなった。

「……デカ過ぎても困んだよな。服とか」
話に乗ってやると、桂木の顔に喜色が浮かぶ。
こちらに触れそうなほど近付いて、媚びるような上目遣いで見つめてくる。
――吐きそうだ。
「仁科がさ、桂木さんのことかわいいって言ってた」
「亮司が? それほんとぉ?」
「マジだって。――俺も初めて見た時、かわいいって思った」
「えっ」
三ツ橋は、自分が“女”に好かれる男だと知っている。
背が高く、運動ができ、成績もよく、顔も整っていて、家は裕福。
さぞかし魅力的に映るのだろう。
「あ、ごめん、今の無し。友達のカノジョにこういうの、良くないよな」
「う、うん。いや、アタシは気にしないけど……」
桂木の耳がほんのり色付いている。
気色悪い。
「悪い、忘れて。……言うつもりなかったんだ」
少し眉を下げて、悲しそうな表情を作ってみせる。
そのまま「じゃあ」と言って教室を出た。

さて、桂木が“ちゃんとした馬鹿”だといいのだが。

*****

「三ツ橋~……。俺、振られたぁ~……」
練習前に体をほぐしながら、仁科はしょんぼりと呟いた。
「ふーん」
「いや興味持て! そんで慰めろ!」
「何なんも知らんけど、どうせお前が悪いんだろ」
「冤罪だって! なんかさ、他に好きな人ができたって……」
思わず噴き出した。
仁科が「あー、酷ぇ!!」と喚いている。
三ツ橋は腹を抱えて、涙がにじむほど笑った。

桂木は“ちゃんとした馬鹿”だった。
教室での三ツ橋のセリフを良いように解釈してくれた。
仁科と別れれば三ツ橋と付き合えると思ってくれた。
そんな訳がない。
「カレシ振ってその友達に告るって、最低だな」
呼び出してきた桂木にそう言ってやった時の顔ときたら、思い出すだけで何度でも笑えそうだ。
桂木は仁科とヨリを戻そうとはしなかった。
さすがにその程度の分別はあったらしい。
仁科も、別れた翌日にはけろりとしていた。
もともと切り替えの早いタイプだし、告白されて何となく付き合っただけの相手に大した思い入れも無いのだろう。
『そういう』んじゃない、と仁科自身が言っていたのだ。

*****

三ツ橋と仁科は相変わらずニコイチで、仁科の隣にはいつも三ツ橋がいる。
これでいい。
自分はこれでいい。
これ以上は望まないが、これ以下にも絶対にならない。
仁科の隣は三ツ橋のものだ。決して誰にも奪わせない。

そう、――どんな手段を使ってでも。








「根岸(ねぎし)っつってさ、同学年のゼミ仲間だよ。あと、お隣さん」

三ツ橋の喉が、きゅうっと締まった。