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彼らの証言

 男子校という環境を出て気付いたことがある。

「ねぇ〜、次の土曜コンパあるんだけど〜、笠原君ヒマ?」
「んー? バイトは無ぇけど」
「やったー! じゃあ7時にいつものお店で――」

 笠原は、モテる。

<水沢誠一の証言>

 モテる、というのは語弊があるかもしれない。
 告白されているわけではないし、清永先輩(なんと同じ大学だった)のようにキャーキャー騒がれているわけでもない。
 ただ、笠原の周りには常に人の気配があり、その中に女の姿が多い。それだけだ。
 けれど、そんな女の子達から遊びだ何だとしょっちゅう誘われている様子は、モテていると称しても良いのではないだろうか。少なくとも俺に笠原のようにお声がかかることはまず無い。あるとすれば、笠原のついでに一応……くらいなものだ。
 とにかく、笠原はモテる。俺の主観でしかないが、多分モテている。
 明るく社交的で気遣いもできる男。難点は服のセンスくらいなものだ。それも大学に入ってからは落ち着いてきた。何ということだ、欠点が無い。
「……そりゃ人気も出るよなあ……」
「ん? 何が?」
「いや、何でもない」
 思わず漏れた呟きに反応して、笠原がスマホから顔を上げた。
 そのスマホの中、何人の連絡先があるんでしょうね。その内何人が女なのか。……いや、別に、どうでもいいんだけどさ。
「なあ、さっき言ってたコンパ、水沢も来っか?」
「行かねえ。門限あるし」
「……それ、相変わらずなのな……」
「7時半まで延びた」
「それでも早ぇって! ……あー、水沢が行かねえならオレもやめよっかな」
「…………」
 じわ、と、心臓が疼く。
 これは、彼女らへの優越感だ。
 この、男女問わず人気者の、この男は。
 ――俺のことが好きなのだ。
 倫理も常識もブチ破ってしまうくらいに。



 数年前に起きた『あの事件』。
 そのことを知る者は、俺と笠原以外には存在しない。
 言ったって誰も信じないだろう。

 笠原が俺を――監禁していただなんて。

 笠原は俺が好きで。
 好きで、好きで、好き過ぎて。
 俺のトクベツになりたくて、俺の中から消えたくなくて。
 俺を、蔵に閉じ込めた。

 何やかんやあって俺は自由の身となり、今もこうして笠原と友達関係を続けている。
 ……冷静に考えるとどうかしてるな。笠原も、俺も。



「……っと」
 笠原のスマホがピコンと軽快な音を鳴らす。
 それを皮切りに、ピコン、ピコンと次々にメッセージが届きだす。
 さきほどコンパに行かない旨を送っていたから、それに対する文句と落胆の返事だろう。
 俺の携帯と違って笠原のスマホは忙しい。いつか過剰労働で訴えられそうだ。
 ……人気者だなあ、本当に。
 さっきまで僅かにあった優越感は消え失せ、代わりに小さな不快感が生まれる。

 別に、笠原が羨ましいわけではない。
 遊びの誘いなんて正直鬱陶しいし、しょっちゅう連絡を取り合うのは面倒臭い。それに笠原が仲良くする女の子達は、揃って俺の苦手なタイプだ。
 ……じゃあ、この感情は何なのだろう。

 ピコン、ピコン、ピコン。

 ああ、うるさい。

 ***

 笠原とは学部が違うので、一般教養以外で講義が被ることはまず無い。
 そんな講義が被る一般教養でも、最近は笠原と離れて座るようになった。
 最初は並んで座っていたのだが、笠原の交友関係が広がるとともにあいつの周りに人が増え、結果的に俺が押し出されてしまった状態だ。
 うるさいのは苦手なので都合がいい。……そう、この状況は俺にとって都合がいい、……はずだ。
 いつも通り、笠原から少し離れた席へ腰を下ろす。初めは隣に来いと文句を言っていた笠原も、最近は何も言わなくなった。
 賑やかな彼らから目をそらして講義の準備を始める。
 前回のレジュメ(何で大学になるとプリントをレジュメと呼ぶのだろう)を読み返していると、手元に影が落ちた。
「水沢クン、おっはよ!」
「おはよう、水沢君」
「ああ、うん、おはよう」
 声をかけてきたのは、女子生徒2人組だ。
 最初に話しかけてきた明るい髪色の派手な子が刈谷(かりや)さん。黒髪のおとなしい方が新崎(しんざき)さん。
 2人とも入学直後のオリエンテーションで知り合って以来、こうして挨拶するくらいには親しくなった。
 外見も性格も真逆の2人だが、いつも一緒にいるところを見ると意外と仲が良いらしい。まあ、俺と笠原も色々真逆だしな。
 新崎さんとは学部が同じらしく、専門の講義でも顔を合わせることが多い。刈谷さんは……一般教養でしか見かけないから、違う学部なのだろう。
 刈谷さんがいない時は、新崎さんとは会釈程度の関係だ。お互い異性と積極的に話すタイプではない。
「それ前回のレジュメ? うっわー、教授の雑談までメモってある!」
「雑談から試験に出ることもあるって先輩が言ってたもんね。私もメモってるけど、結構抜けちゃってるかも」
「マジで!? やっば、あたし全然書いてない! ねえ、これコピーしていい?」
「もう、ミホちゃん!」
「はは……。いいよ、新崎さんも写す?」
 レジュメを差し出すと、新崎さんはしばらくためらってから「……お願いします」とはにかみながら頷いた。
「水沢! オレもオレも! コピらせて!!」
「却下」
「ミホとチカちゃんにはOKなのに!?」
 会話を聞いていたのか、笠原が割り込んでくる。
 それに釣られてあの賑やかな輪もこっちに移動してきてしまった。
 笠原が喋るたびに周囲から笑い声が響く。
 皆の意識が俺から外れたのを察して、そっと席を移動した。どうしても、あの輪に混ざる気にはなれない。
 再び机の上に勉強道具を並べ直す。
 新崎さんと刈谷さんは、あの場に留まって笠原と何か話している。
 笠原が喋る。2人が笑う。
 心臓に巣くった小さな不快感が、少しだけ増した気がした。

 ***

「あの……水沢君って、笠原君と同じ高校だったって、本当?」
「は?」
 文学概論の講義前に、珍しく新崎さんが話しかけてきた。
 てっきり講義に関することかと思ったのに、切り出された内容の意外さに間抜けな声が漏れる。
「まあ……そうだけど……。何で?」
「あ、あの……」
 俺の言葉に、新崎さんはかすかに肩を震わせた。
 しまった、返答がそっけなさすぎたか? 女子との会話ってこんなに難易度高いのか……。
 内心冷や汗をかきながら新崎さんを見る。目が合うと視線をそらされた。つらい。
 新崎さんはしばらく逡巡した後、おずおずと口を開く。
「あの、あのね、笠原君と仲良いなら、教えてほしいことがあって……」
「はあ……」
「笠原君、……彼女って、いるのかな」

 ……ああ、はいはい、そういうことか。

「……彼女は、いない」
「そ、そうなんだ?」
 新崎さんの顔がぱっと明るくなる。
 その顔を見たくなくて、今度は俺が視線をそらす。
 笠原に彼女はいない。
 いるのは、好きな人。

 それを伝えることは、何故だかできなかった。

 ***

 数日後。

 次の講義に向かうため、荷物をまとめて講義室を出る。いちいち移動しなければならないのは、初めは面倒だったがすぐに慣れた。
 行き交う生徒達の間を縫って歩いていく。
 階段の踊り場まで来た時、ふと足が止まった。
 踊り場に設置されている大きなガラス窓。その向こうに、見知った人影があった。
「笠原……と、新崎さん……?」
 少し距離があるが、間違い無くあの2人だ。
 いつも笠原の周りを取り囲んでいる連中はそこにいない。
 2人だけで、何を。

 ――笠原君、……彼女って、いるのかな――

「……あ……」
 いつかの新崎さんの台詞が脳裏をよぎった。
 心臓の、あの不快感が大きくなる。
 笠原が何かを言う。
 新崎さんの頬が、ここからでも分かるくらいに赤く染まった。
 笠原が笑う。
 皆に見せる快活な笑顔ではない、大人びた微笑み。
 時折俺に向けていた顔。
 ――俺だけに向けていた、顔。

 何だよ。
 何だよ。何だよ。何だよ。
 俺以外にもそんな顔するのかよ。
 俺のこと好きだって言ったくせに。
『あんなこと』するくらい、俺のことが好きなくせに。

「……あれ?」
 ――笠原に好きって言われたの、いつが最後だっけ?

 すう、と体が冷えていく。
 そうだ。随分長いこと、そんな言葉は聞いてない。
 それらしい態度も、無い。
 いや、でも、前のコンパだって、俺が行かないならやめるって――。

 ……そのくらい、友達同士でも言うんじゃないか?

「……っ」
 心臓の不快感が、痛みに変わる。
 ぎゅうっと、胸元を握りしめた。
 痛い。苦しい。痛い。
 講義開始のチャイムが、遠くで響いた。

 ***

 学期末の試験が近付くとキャンパス中がざわつき始める。高校までと違って大学の学期は前期・後期だ。試験の回数は減るが、その分試験範囲が広い。そして難しい。

「水沢ぁ〜オレはもう駄目だ〜! 骨は拾ってくれえ〜!」
「愚痴言ってる暇あったら教科書めくれ。ほら」
 今日は笠原の家で勉強会。
 本当はひとりで図書館に籠るつもりだったのだが、笠原が一緒にやろうとうるさいので場所を変える羽目になった。このやかましい男を図書館に……。考えただけで胃が痛い。西日浦の司書の幻覚が見える。

 都合がつかなかったのか、他の人間は不参加だ。
 笠原と2人だけでいるのは久し振りだ。懐かしい気分になって、この状況を「懐かしい」と感じてしまうことに、また胸が痛くなる。

「なあ、ここんとこのレジュメ見してくんねー?」
「ああ、ちょっと待ってろ」
 レジュメを入れたファイルを漁るが、目当ての物だけが見当たらない。……おかしいな、全部この中にまとめてあるはずなのに。
「……あっ。
 ……悪い、新崎さんに貸したままだ」
 書き漏らしがあるから見せてほしいと言われて渡したきり、返してもらうのをすっかり忘れていた。
 新崎さんも返しそびれて困っているだろう。……俺のせいだ。

 あの時、笠原と新崎さんが話しているのを見て以来、何となく彼女を避けるようになってしまった。
 元々互いの連絡先も知らないような関係だ。講義でしか会わないのに、その講義で避けてしまえば返す機会はなかなか無い。

「……参ったな、もう試験まで講義で会うことも無いし……。まあ1枚くらい足りなくても……」
「いやいや、これで水沢の成績落ちたらチカも気にすんだろ! オレが連絡しとこうか?」
「……それもそうだな。頼む」
 スマホを操作する笠原を見て、ぐっと息を飲んだ。
 言いたいことが喉に貼り付いて呼吸を邪魔する。

 いつの間に新崎さんと連絡先交換したんだよ、とか。
 この前まで『チカちゃん』だったのに、さっきは『チカ』って呼んでたな、とか。
 あの時、2人で何話してたんだよ、とか。
 新崎さんはお前が好きなんだぞ、とか。
 …………俺のことはもう、好きじゃなくなったのか、とか。

「水沢?」
 いつの間にか笠原の顔が近くにあって、思わず後ずさる。
「どしたん?」
 別に何でもない。近い、離れろ。勉強に集中して――――。

「新崎さんと付き合うのか」
「へ?」
「え?」
 …………俺、今何て言った?
「ごごご、ごめん間違えた!!」
「チカ? 何でチカと?」
「間違えたっつってんだろが! 忘れろ!」
「んな無茶な!」
 畳の上で頭を抱える。
 何であんなこと言ったんだ。
 言うつもりなんて無かったのに。

「水沢」
 笠原の声が降ってくる。
「水沢」
 やめろよ、そんな声。
 そんな優しい声。
 まだ――俺のことが好きみたいな、そんな声。
「なあ水沢、顔見せて」
 のろのろと顔を上げる。
 情けない俺を瞳に映して、笠原が笑っていた。大人びた、あの微笑み。
「ちゃんと聞かせてくれよ。オレ、水沢のこと知りたい。水沢が何考えてんのか知りたい」
 俺が考えていること。
 話せというのか。こんな、ドロドロした、訳の分からないものを吐き出せと。
 無理に決まっている。だって俺には。
「……俺に、言う権利、無い……」
 絞り出した声は、みっともなくかすれていた。

 好意に胡座をかいて。
 与えられる「好き」を甘受して。
 何ひとつ、返しもしないで。

 俺のこと放っとくなよ。
 他の奴にあんな表情見せるなよ。
 俺以外を、好きになったりしないで。

『ただの友達』でしかない俺に、そんな言葉を吐く権利は――。

「権利、欲しい?」
「――え……?」

「オレは欲しい。
 水沢が誰かと話してるとムカつくし、誰かに笑ってるとイライラする。
 オレ以外と喋んなって言いたい。言う権利が欲しい。
 ――水沢は? オレに文句言う権利、欲しくねえの?」
 何だそれ。
 そんなの、無茶苦茶だ。
 友達同士でそんなこと、言っていいはずがない。

 ――友達以外なら?
 もっと、もっとトクベツな関係なら。
 ……この感情をぶつけても許されるのだろうか。
 そんな権利が、貰えるのだろうか。

「……ほ、……欲しい……」
「うん」
「俺も……欲しい……」
「うん」
「…………ください……」
「オッケイ!」
 ニカッと、いつもの『友達同士』の顔で笠原が笑う。
 いつもの顔はそこまでで、その先の表情は見えなかった。
 ――見えないくらい近くに、笠原の顔があったから。

「ん……っ、む……!?」
 かさついた唇の感触。
 肩に置かれた手にぐっと力が入って、背中が壁に付いた。

「…………――――っぷは!!」
「水さ――、うお!? いってえ! 突き飛ばすことねえだろ!」
「うるさい! な、な、何すんだ馬鹿!!」
「いや何って、今のはこういう流れだろ!?」
「流れとか馬鹿か! 馬鹿!! 馬ー鹿!!」
「水沢、語彙が死んでる」
「うっせえ馬――鹿!!」

「……あの、水沢さん?」
「……」
「確認なんですケド、オレ達お付き合いをするってことでいいんですよね?」
「……知らん」
「は!?」
「…………」

 笠原の服を掴んで、思いっきり引き寄せた。
 勢いのまま唇がぶつかる。
 これが俺にできる精一杯だ。
 それでも。
 こんな稚拙で意地っ張りな、キスとも呼べない行為にだって、笠原は笑ってくれるから。

『トクベツ』になったこいつの服を、もう一度引き寄せた。

【GOOD END トクベツな権利】










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 同じ大学に、ちょっと気になる男の子がいる。
 時々講義が一緒になって、その時に少し挨拶をするくらいの仲だけど、ついつい目が彼を追ってしまう。
 これはきっと、恋だ。

 水沢誠一君。
 それが、彼の名前。

<新崎千賀子の証言>

「そんなに気になるならさー、もうコクっちゃいなって! チカ可愛いんだからいけるっしょ!」
「ミ、ミホちゃん、声が大きい…!」
 ごめんごめんと言いながら、ミホちゃんは紙パックのジュースを口にくわえる。
 刈谷美穂ちゃんとは入学当初からの付き合いだ。
 派手な外見の彼女に初めは少し気後れしたけど、サバサバしてて話しやすくて、今では大好きな友達だ。
「ねえねえ、水沢クンのどこが好きなの? お姉さんに教えて〜!」
 ミホちゃんが瞳を輝かせて身を乗り出す。恋バナ、好きだなあ。私もだけど。

 ……どこが好き、かあ。
 改めて聞かれると少し困る。
 強いて言うなら、雰囲気、かな?
 彼の所作は丁寧だ。物を置く時も、扉を開ける時も、乱暴にしない。
 それと、真面目な所。
 講義を休んだことは無いし、レジュメもきちんとまとめてある。教授の目の前の席にだって平気で座る。そういう所。
 でも、一番好きなのは。
「……前にね、同じ講義の男の子が、水沢君にレジュメ見せてって頼んだの。休んでたからって。でも水沢君、嫌だって言って。その男の子、病欠とかじゃなくて、サボりだったから」
 その男の子は、おとなしそうな水沢君なら言うことを聞くと思ったのだろう。きっぱり断られて、少し怒っていて。
 一方の水沢君は、そんな彼に目もくれずに手元の本(水沢君は読書家だ)を開いていた。

「……うーん……まあ、趣味は人それぞれだよね」
「……やっぱ変かな」
「あたしにはただのKYにしか聞こえないわ……」
「あはは……」
 何とも言えない顔のミホちゃんに苦笑する。
「私、八方美人だから。水沢君みたいにはっきり言えちゃう人って、格好いいなって」
 だからミホちゃんとも仲良しなのだ。彼女もはっきりと物を言う。そういうのが嫌だって人もいるけど、私は好き。
「なるほど。で、コクんないの?」
「そ、それはちょっと……ハードル高いかな……。付き合ってる人いるかもだし……」
「彼女いそうには見えないけど」
 はっきり言うなあ。
「あ、じゃあ彼女いるかどうか、あたしが聞いてきてあげようか?」
「えっ、それもちょっと……」
「何でよ!」
「だって、私とミホちゃんが仲良いって水沢君も知ってるし。ミホちゃんにそんなこと聞かれたら、私のために探り入れてるってバレちゃうかもだし……」
「コクるの前提なんだからバレてもいいじゃん」
「駄目なの!」
「めんどくさ!」
 だってバレたら、それで振られたら、もう普通に話すこともできなくなる。……それは嫌だ。

「あ、じゃあ交換しない? あたしナオキのこと気になるんだよね。水沢クンとナオキって高校同じらしいじゃん、彼女いるかくらい知ってるんじゃない?」
「ナオキって……笠原君?」
「そう! あたしがナオキに水沢クンのこと聞くから、チカは水沢クンにナオキのこと聞いてよ!」
 ……それなら何とかなりそうだ。直接本人について尋ねるよりもハードルは低い。

 それにしても、笠原君か。
 明るいミホちゃんとは、確かにお似合いかも。
「……」
 でも、私は笠原君が、少し苦手だ。
 例えば講義中に寝ちゃうところとか。いつも大きな声で話すところとか。私のことを「チカちゃん」って呼ぶところとか。
 嫌いと言うほどではなくて、ちょっと合わないなってだけ。
 いい人なんだけどね。
 私はやっぱり、水沢君みたいな人が好きだなあ。

 ***

 教授が学会に出るとかで2限は休講。特にすることも無く、どこかで時間を潰そうと構内を散策することにした。

「おっ、チカちゃん! サボり?」
 不意に声をかけられて振り向くと、笠原君がニコニコと手を振っていた。
「違うよ、休講だって。笠原君は?」
「オレは自主休講ー」
「……」
 こういうところが苦手なんだよなあ。本人の責任って言えばそうなんだけど。
「水沢君は一緒じゃないの?」
「水沢? この後も講義入ってんじゃなかったっけ」
「そっかあ……」
「チカちゃん水沢のこと好きだよな」
「え!?」
 ぎょっとして笠原君を見ると、普段の笑みが消えた、冷たい顔がそこにあった。
「そ、そんなこと、ないけど」
「えーでもミホが言ってたぜ?」
 ミホちゃん、何てことを!
「まあ違うなら良かった。
 ――水沢、付き合ってる奴いるからさ」
「……え?」

 そんなはずはない。
 先日、ミホちゃんが確かめてくれたのだ。
 水沢君に付き合ってる人はいない。
 そう聞いた相手は、私の目の前にいる、彼だったはず。

「う、うそ」
「嘘じゃねえって。……あー、ミホには嘘ついちまったけど。今度のが本当」
「……何で、ミホちゃんには」
「あいつ、悪い奴じゃねえけど、結構口軽いじゃん? 広まっと困んだよ。
 ……水沢と付き合ってんの、オレだから」

 ……「オレだから」?
「オレ」というのは笠原君のことで、つまり、水沢君と笠原君は――。

 ぱち、ぱち、と、頭の中でパズルのピースがはまっていく。
 今まで見過ごしてきた風景が再生されて、その意味を変えていく。

 彼らはいつも一緒にいた。
 笠原君の周りに誰かがいると、水沢君は少し不機嫌だった。
 水沢君に、笠原君に付き合っている人はいるかと尋ねた時、彼は少し悲しそうで。
 それに、さっきの笠原君の冷たい顔――。

 ぶわっと顔が熱くなる。
 そうか。そうだったんだ。
 この2人は恋人同士で、誰にも言えない関係で、それで、それで――。

「……チカちゃんにはホントのこと言っとこうと思ってさ。……内緒な?」
 笠原君の言葉に、小さく頷くだけしかできない。
 頭の中で、好きな人と両想いになれない悲しさと秘密を知ってしまった仄暗い喜びが渦を巻く。
 悲しいけど悔しくはない。土俵が違うというやつだ。最初から、勝負にすらならない。

 笠原君は見たことの無い、大人っぽい微笑みを浮かべていた。











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 ――昔から残る言葉ってのはね、残るだけの意味があるのよ――

 それが婆ちゃんの口癖だ。

<笠原直樹の証言>

「だからさぁ、チカが水沢クンのこと好きなんだって! ね、協力してよ!」
 オレの腕を掴んで喚いているのは刈谷美穂。大学で知り合った派手目な女子だ。
 チカというのは新崎千賀子。彼女の友人。刈谷美穂と違って、真面目系の大人しい子だ。
 チカちゃん、君の友達は、ちょっと口が軽過ぎないかい? ヘリウムガスでも吸ったのかい?
「いや〜、そういうのはホラ、本人同士でさ……」
「そんなこと言ってたら、あの2人じゃ1万年経っても進展しないって! 水沢クン今フリーなんでしょ? ねぇ!」
 1万年どころか1億年でも無理じゃないっすかね?
 ……つーか、オレがさせねえし。

 チカちゃんが水沢をねえ? まあ、お似合いじゃないっすか?
 真面目で誠実なお2人さん。
 さぞかし健全で、初々しい、甘酸っぱいお付き合いをなさるんでしょう。
 あーやだやだ、想像できちまう。吐き気がするね。
 これがミホなら、まだオレの腕を掴んで離さないこの女なら、こんな気分にはならないのに。
 だってミホは水沢の好みじゃない。水沢の好みは、大人しくて真面目で男慣れしてなさそうな。そう、チカちゃんみたいな子だ。

 獣の唸る声がする。
 うるせえな、分かってるよ。

 ***

 顔を真っ赤にしたチカちゃんが走り去っていく。
 これであの女は大丈夫。

 チカちゃんとオレは、全然似てないけど似た者同士だ。
 ――人に嫌われたくない、八方美人。
 八方美人というのは、誰にでもいい顔をする奴のこと。皆に『いい人』と思われたい、それが八方美人。
 だからチカちゃんはオレ達のヒミツを喋らない。喋れない。
 そんなことをしたら、彼女は『秘密を言いふらす悪い人』になってしまう。
 水沢に直接問いただすこともしないだろう。

 後は――さっき話したことを、真実にするだけだ。

 ***

 何度目かのキスをする。
 窓の外は綺麗な茜色に染まっていた。
 水沢の顔も、あの空と同じ色。
「ん……っ」
 息苦しいのか、水沢の目尻に薄く涙が浮かんでいる。なのにやめようと言わないから、オレは調子に乗るしかない。

 やっと、やっと収穫できた。
 少しずつ蒔いた種が芽を出して、大きくなれと水をやって。
 今日、やっと。
「かさ、はら」
「……直樹って呼べよ」
「う、うるさい!」
「ちぇ……」
 これはまだ無理か。
 素直じゃない口をもう一度塞ぐ。
 唇を軽く舐めてやると、水沢の体がびくんと跳ねた。

 ――昔から残る言葉ってのはね、残るだけの意味があるのよ――

「押して駄目なら……ってな」
「は?」
「いーや、何でも」
「ちょ……っ! んん……っ」

 ああ、ああ、ああ!
 この唇も。瞳も。声も。
 髪も。肌も。吐息も。心も。
 ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶオレの。
 オレだけの。


 獣の声は、もう聞こえない。

【TRUE END 沈黙】

※エンド後に必ずこうなるというわけではなく、可能性のひとつです。